綾辻行人 「十角館の殺人」

 ■ 推理小説の枠を広げた、後世に残る記念碑的ミステリー。 ■

推理小説とは、「犯人が用意したトリックを探偵がいかに看破するかを描いた物語」 と思ってはいないか?

まさにそう思っていた典型のおれが、認識を改めさせられた作品がこれだ・・・
綾辻行人著 『十角館の殺人』

おれの独断と偏見によると、楽しみを享受できる読者はこのような感じだ。




『推理小説の認識を改める』という部分が色濃いんですね。
謎解きというよりは、何か物凄いインパクトのトリックが仕込まれている、と。

ストーリーを紹介して貰えますか、Mr.村田?


うむ。 簡単に説明すれば、こうだ。

半年前に、凄惨な殺人事件が起きたといういわく付きの館、『十角館』。
そこに、大学ミステリ研究会の7人が集まった時から事件は始まる・・・!

孤島であるがゆえに、警察を呼ぶ事も、逃げ出すこともできない彼らを待っていたもの・・・
それは、自分達が十八番としている推理小説に見立てられ、相次ぐ殺人事件だった!

一人、また一人として手に掛けられていく大学生達・・・
お互いがお互いを勘ぐり合う事で、事件は徐々にサバイバル・ゲームの様相を呈していく!


犯人は、ミステリ研究会のメンバー7人の中に居るのか?!
それとも、半年前に起きた殺人事件の生き残りが居たのか・・・?!


・・・この連続殺人の恐るべき真相を、誰が看破できるのか?!  

いわゆる、警察も呼べない絶海の孤島で起こる連続殺人事件・・・
何だか、ベッタベタの使い古された設定じゃないですか。

それで本当に、新しい可能性なんてものが現れてくるんですか?


むしろその逆だ。 ベタな状況設定であるがゆえに、衝撃的だったと言える。
そう、この物語が開拓したのは、 『読者が読む事によって初めて完成する推理小説』 というジャンルだ。

推理小説といえば誰も、「犯人の仕掛けたトリックを、探偵がいかに論破するか」 という構図を考える。
しかし、この小説では更に、「探偵が看破する内容を、読者が審判する」という 構図を取ったのだ。
要は、読者を只の観客ではなく、小説の中に含めてしまった点が新しいのだ!

この事によって、論理学の弱点・・・
「論理的に正しくても、前提が間違っていれば正しい結論には至れない」
を思い知らされるような、壮絶なトリックが可能になっているのだな。

流石は新ジャンルの草分けと言われるだけのことはある・・・と言えるだろう。


水族館のイルカショーも、実際にショーに参加させて貰って初めて判ることがある・・・
読者を小説に含める事でも、見えてくる可能性がある・・・と。

なるほど、推理小説の枠を広げたというのはそういうことか。


まさにその通り。 だが勿論、それゆえに不満な点はある・・・
単なる"読み物"として見た時の面白みが、ごっそり犠牲にされたという点だ。

「読者を小説に含める」なら、読者は小説内で探偵でも犯人でもあり得ない、 ということになるだろう。
言わば読者は、常に殺人事件を上から眺める「神」なのだ。
従って、読者と登場人物とは完全に切り離される事になり、 感情移入の余地がなくなったことに原因があると思う。

つまり作者の言いたいことが登場人物を介して読者に伝えられるのではないので、 事象の羅列・・・
悪く言えば、解決編という『解答』が与えられるまでの、長い長い『問題文』 という感覚がしてくる。
衝撃的な謎解きの瞬間まで、この点を我慢できるか・・・?
これが、好き嫌いを分ける尺度と見て間違いあるまい。


推理小説の地平を広げたと賞賛するか、無味乾燥なつまらない物語と見るかは人次第、 といったところですか。
新しいことを始めるのって、何かと抵抗があるものですからね。


その通り。 推理小説かくあるべし、といったこだわりのある人間・・・
「こういう推理小説もあり」と割り切れない人間は読まないが吉かも知れない。
これで「チーム・ゴルボンズ」は、

人類の叡智を、また一つ獲得したッ!!

うむッ!!

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