村上春樹 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

 ■ クローズドな「完全」と、オープンな「不完全」。どちらを選ぶ? ■

安定と安息の退屈な人生と、変化に富んだ激動の人生・・・

二つの人生を選べるとしたら、自分はどちらを選ぶだろうか?
村上春樹著 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、そんな疑問を抱かせる。

おれの独断と偏見によると、楽しみを享受できる読者はこのような感じだ。




世界観が完成されている・・・ということは、ファンタジー小説ですか。
Mr.村田にしては珍しくキレイな六角形・・・ 万人にオススメの作品であると。

ストーリーを紹介して貰えますか?


うむ。 簡単に説明すれば、こうだ。

ここに始まるは、二つの物語・・・

「周囲を壁に囲まれ、外界との接触を絶たれた田舎街。
影を切り離された僕は、図書館で一角獣の頭骨から「夢」を読んで暮らすのが日課だ。
毎日が自給自足の決まり切った日常で、その理由を問うこともない・・・。」

「高度に情報化された社会において、情報は利ザヤだ。
他者から盗み出した情報をリークし、利益を得る『ファクトリー』と呼ばれる闇の企業がある。
情報を暗号化し、その脅威から守るのが『計算士』たる私の職務である・・・。」


一見、何の関わりもない二つの物語だが、両者に共通するものがあった。
それは、「世界の終わり」という言葉に他ならない・・・!


運命の悪戯が二つの物語を交錯させるとき、明らかになる衝撃の事実とは・・・!!  

ううむ、片や平穏なファンタジー、片や情報戦の近未来SFという感じがするな。
確かに「平行」世界という感じで、これらがどう交わっていくのかは見当も付かない。

もっとも、それをうまく接続できているからこそ、魅力的な物語となっているのだろうが・・・。


そう、この物語の最大の魅力はそこだ。
全く別の二つの物語が交互に進んでいく過程で、それらの繋がりが徐々に見えていく・・・。
まるで、仏教世界の曼荼羅(まんだら)のような物語なのだ。

そうであれば、二つの物語は内容がより「かけ離れている」ことで面白さが倍加する。
この物語で二つの世界が収束するとき、その落差が大きい理由は、間違いなく両者の完成された世界観だ。
つまり、両者を読み進めれば読み進めるほど、互いに対極にある物語のような気がしてくるのだな。

丁寧に世界を記述し、人物を作り上げた作者の筆力の賜物と言えるだろう。


確かに、「西の勇者が魔王を倒しに行く物語」「東の勇者も・・・物語」の二つの物語が収束しても 何の意外性もなさそうだものな。
「お魚くわえたドラネコを追うオバチャンの物語」「シマ抗争に揺れるヤクザの物語」の二つの物語が 一つになる物語の方が面白そうだ。


うむ。 そして、両断された二つの物語が交互に進んでダレたりしないのは、 先の読めなさ・読ませなさに秘密があると思う。
この物語は、読者があまり触れることのない二つの世界がベースだ。
従って、ストーリーがその後どのように進んでいくのか予想がつかない。

まったく先読みが通じず、人物達と同じく「何もかもが新鮮」な感触で 読み進めていけることに気付くだろう。
「やみくろ」などの専門用語が現れてもそう、天才の「博士」が諭すように 主人公に話し掛ける内容もそうだ。
そのことで、先に何があるか判らない扉を一枚ずつ開け進んでいくような 臨場感を持って読み進めることが可能となっている。


前と後ろ、両方に扉があって・・・ A君とBさんがそれぞれを開けて奥に奥に進んでいったら・・・
遠く離れていったはずの二人が再会してしまった、そんなタイプの不思議物語なのですね?
何だか、大航海時代に太平洋と大西洋をそれぞれ通って・・・ という話に似ているなぁ。


「大航海時代」、いい響きだ! まさに、この物語は言葉の大海原のクルージングだッ!

人類の叡智を、また一つ獲得したッ!!

うむッ!!

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