島田荘司 「占星術殺人事件」

 ■ 美しき伏線による大トリック、これぞ推理小説 ■

「推理ものはTVや漫画より、活字で読んだ方が面白かったのかッ!!」

そうおれにそう思わしめた、運命の一冊がこれだ・・・
島田荘司著 『占星術殺人事件』

おれの独断と偏見によると、楽しみを享受できる読者の傾向はこのような感じだ。




なるほどな、村田が衝撃を受けただけあって、謎解き好きはMAXなのだね。
『金田一少年の事件簿』を読み尽くしていると『お薦めしない』というのが気になるが・・・まあいい。

・・・で、どういう話なんだ、村田?


簡単に説明すれば、こうだ。

時は40年前。 事件の発端は、ある狂った画家の手記だった・・・。

画家が目指したものは、6人の少女から星座によって強められた身体の一部分ずつを切断、 星座に合わせて組み合わせ、『一人の完全な人間(アゾート)を合成したい』という 恐ろしいものだった!

その後実際に、6人の少女は旅行先で行方不明になり、身体の一部分の欠落した 陰惨な死体として次々と発見されていったのであった・・・。

・・・ここで当然犯人と思われる画家であったが、彼は少女達が行方不明になる一ヶ月も前に、 密室内で何者かに殺されているのが発見されていた!!


誰かが、殺された画家の目指した夢を引き継ぎ、代りにそれを実現させたのか?!
それとも、画家は死んではいなかったのか・・・?!

・・・この謎に、石岡君と御手洗さんが挑戦するッ!!  

なるほど・・・ 占星術はあくまでその殺人の動機だったわけか。
一番の謎は、犯人が不在のはずなのに殺人が行われた、という点だな。

なるほど、確かに秀逸な設定だ・・・!!


そう・・・ まず、40年前からの謎という設定が事件をマイルドにし、 読者を謎へ誘導するのに一役買っている。

勿論、この「犯人不在の殺人」トリックこそ、推理小説ファンを唸らせた極致。
しかし敢えて言えば、この物語の最大の魅力は、その点ではない。
考えに考え抜かれたトリックと、それを演出する物語性が、両立している 点だッ!!

おれたちは経験則として、推理小説といえば
「大層なトリックを扱うと煩雑な舞台設定が必要になり、物語は不自然な感じで浮く。
一方、物語としての自然さを重視すれば、陳腐なトリックに飽き飽きする・・・」
という、トレードオフの図式を思い浮かべがちだ。

それが間違いであると、この物語は教えてくれる。 しかもそれは、
「真に素晴らしいトリックは、"煩雑な舞台設定"など必要としない」と 示す事によってだ。


仕掛けとしては単純なのに、「あっと言わせる」トリックということですね。

科学の論文なんかもそうですね。
複雑な計算式がずらずら書かれた類の論文は大抵大したことはない。
簡単ながらも皆の盲点を突いた論文こそ、インパクトを持っている。


そういうことだ。 『重要な理論ほど簡単で美しい』という言葉通りだな。

非凡な天才である御手洗さんと、読者と同じく御手洗さんに振回されっぱなしの石岡君・・・
「アゾート」を探しにこの二人が手掛かりを手繰っていく物語自体、魅力的だ。
だが、知らず読み進める内に、ピアノ線のようにシャープな伏線が 張り巡らされていることに読者は気付く
だろう!

トリックが難解で、それこそ膨大な解説が必要なものなら、この伏線は大した事ないのだ。
しかし、『考えれば思い至れる』トリックであるからこそ、 練りワサビを飲み込んだような衝撃が脳髄に走る。

伏線に気付かず読み進める時も、伏線に気付いてからも別の意味で楽しめる・・・
つまり、面白さが一瞬のうちに別の次元へと転移する
・・・!!
これこそ、この推理小説の評価される理由と言えるだろう!!


考えれば推理小説って、種明かしのある手品みたいなものですからね。
要は、不思議な現象だと思ったら、目の前に種があった・・・
なんてことが判ったらそれは物凄いショックだ、と。


うむ、「サーモスタット」など優れた発明が実際そういうものであったことにも通じるな。
これで「チーム・ゴルボンズ」は、

人類の叡智を、また一つ獲得したッ!!

うむッ!!

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