重松 清 「疾走」

 ■ 運命とは、「周囲との繋がり」。静かに、壮絶に訴える物語。 ■

人も、故郷も、繋がって生きている。拠り所として生きている。

重松清著 『疾走』は、そんなメッセージが込められた物語だ。
凄い表紙だが、ゾンビが出てくる話などではない。

おれの独断と偏見によると、楽しみを享受できる読者の傾向はこのような感じだ。




なるほどな、強烈なメッセージに、元気が奮い起こる物語・・・
そんな物語ってことか。

どんな物語なのか説明して貰えるか、村田?


うむ。 簡単に説明すれば、こうだ。

教会でのクリスマス会で、シュウジはポニーテールの少女、 エリと出会う。
クラスから孤立し、両親もないエリは、完全に一人、 孤高の人間だった。
そしてエリは、シュウジの入った陸上部で上級生にも負けない ランナーだった。
そんなエリに、だんだんと惹かれていくシュウジは、 走ることに喜びを覚えるようになる。

しかし突如エリは、瓦礫を積んだダンプカーに 撥ねられ、走る事が出来なくなってしまう。
現在の土地から東京の叔父の家に引っ越す事実を、 見舞いに来たシュウジに告げるのであった。

理解者をなくしたシュウジは、完全に一人になってしまう・・・。


地元の荒廃、身内の犯罪、父の失踪、家庭の崩壊・・・
相次ぐ不幸の先に、シュウジは自殺まで決意する・・・!

・・・そんな少年が、「走る」ことでその先に見るものは・・・ッ?!  

なるほどね・・・ 不幸のどん底で自殺まで考えた少年を 思い留まらせたのが「走ること」だった。

いかにも生きる意味を感じさせてくれそうじゃないか。


うむ、生きる意味というよりは・・・対人関係の大切さを感じる物語なのだがな。

とりわけ、文章の書き方に非常に魅力があって、冗長すぎる 展開でも引っ張っていく力がある
まず一番の特徴は、ずっと一人称が「おまえ」であること。
その理由は後々明らかになるが、誰かが語りかけてくれていると 想像するも良し、不幸が相次いだシュウジ自身が自己喪失して 自分の経験を他人の経験のように振り返っていると想像するも 良しだろう。

また、神父の優しさ、打ちのめされた人間の壊れぶりなど、 文章化すると安っぽい形容詞になる部分を、読者に伝える力も見事だ。
「人間」ではなく「にんげん」、「一人」ではなく「ひとり」など、 敢えて平仮名を多用することで、情景描写をいくつも並べるより ずっと、効果的に表現できていると思った。


あー、一頃「モーニング娘。」の"。"があると何だか可愛く 響くってことで、猫も杓子も"。"付けてたのと似てますね!

「ゴキブリ」は嫌だけど、「ごきぶり。」なら大丈夫・・・ って、若い子が言ってましたっけ。


星脇、歳がバレるのでそれくらいにしておいた方がいい・・・ 続けよう。

勿論、この物語の魅力は、周囲との繋がり全てが 運命なんだよ、という強いメッセージ性にある。
ここで言う「周囲」とは、勿論人もそうだが人以外のものでも 同じことが言えて、聖書だって、それから恐らく、 故郷という土地だってそうだ。
シュウジたちは繋がっているものをずたずたにされたために、 方向を失い、自殺しようと思ったんだろう。
言ってみれば、「周囲との繋がり」という土壌が豊かなら 人間は育つし、それが尽きれば枯れもする・・・。

これを伝えるためには、「周囲」を相当魅力的に書かないと いけないわけで、その意味で上記の表現力が生きている のだと思う。
相当文章力のある作者なんだなという印象を持った。


確かにそうですね。
失って自殺まで考えるほどの「周囲との繋がり」が、 単なる符号では真意が伝わらないですものね。


逆に自分の人生を形成する一つ一つの事象が、振り返ると 「周囲との繋がり」になっているのかも知れないがな。
とにかく、これで「チーム・ゴルボンズ」は、

人類の叡智を、また一つ獲得したッ!!

うむッ!!

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